卒業生紹介

京都芸術大学を卒業し、
活躍している先輩を紹介します。
卒業生インタビュー

駒田隼也さん

小説家

書き続けることで、
他者へとつづく言葉に出会えた。

書くことの面白さや難しさと、一人で向き合っていた。

駒田さんは、どんなきっかけで文章を書くことや読むことに興味を持ったのですか?

駒田
いちばんはじめは、高校に入る前ですね。インターネットで創作した文章を投稿し合うコミュニティがあって、真似し出したのが最初でした。その中に一人か二人、「いいな」と思うものを書く人がいたんです。

いいなと思える文章に出会ったんですね。

駒田
それを真似して書くようになってから、本も読むようになり、本屋にも行き始めました。中2か、中3ぐらいかな。ガラケーをもらってしばらくしてからのことだったと思います。

はじめから、読むだけじゃなくて、書いたものをネットで読んでもらうことを前提に?

駒田
そうですね。コミュニティの中で読んでもらって。

初めて書いた文章は、どういうものだったか覚えていますか?

駒田
ひどかったと思います(笑)。書き切った直後は気分がよかったんです。ひとつの作品を書き上げた全能感というか。

わかる気がします(笑)

駒田
でも、投稿してみて、自分でも読み返してみると、「全然だな」「これじゃ伝わらん」って、気持ちが上がり下がりして。

そこで諦めずに、また書いてみようと?

駒田
そうですね。書き続けていました。単純に、面白かったんです。

その面白さは、どこにあったのでしょう?

駒田
僕は絵も上手く掛けないし、ピアノも両手弾きができないし、練習したとしても形になるまでの距離がすごく遠いように感じたんですね。でも文章は違っていて、書いたものがすぐ描写として立ち上がる。その距離の近さが、気持ちよかったのかもしれません。

何十年と同じ会社で働くイメージは持てなかったけど、書くことなら、続けられる気がした。

作品を書くのと併せて、本を読むようにもなったと話されていましたが、どんな本を読んでいましたか?

駒田
印象に残っているのは、西尾維新さんの本です。読み進めるうちに、西尾さんがデビューするきっかけになったメフィスト賞というミステリー・エンターテインメント系の文芸賞が気になり、その受賞作家の中に、当時純文学を書き始めていた舞城王太郎さんがいました。そこから、ミステリー系だけでなく純文学にも興味を持ち、安部公房や夏目漱石を読むようになりました。

ミステリーから純文学まで。

駒田
乱読というか、気になるものをとりあえず読んでみる、という読み方でした。当時は、書くことも読むことも遊びで、特定のジャンルを掘り下げようという意識はなかったと思います。

いつ頃から、文芸表現学科への進学を考えるようになったのでしょうか?

駒田
高校の進路選択のあたりからですね。大学には行こうと思っていましたが、その先で何十年も同じ会社で働くイメージが持てなくて。今思えば、自活できる何かが欲しかったのかもしれません。書くことなら続けられそうだ、と漠然と感じていました。

中学生から始めて、高校3年生の時点で、すでに4〜5年は書き続けていたことになりますよね。

駒田
楽しいという気持ちが、ずっとありました。フィクションの中で何かを考えたり、ストーリーの展開を組み立てたりする時間が、単純に楽しかったんです。

そういう気持ちもあって、「書くこと」なら続けられそうだと。

駒田
それで、「文章を勉強できる場所ってどこなんだろう?」調べて、行ける大学のオープンキャンパスは全部回ってみました。そもそも、文学部はあっても、「書くことを学べる学部」はあまりなくて。人が書いたものを研究するのではなく、「制作」ができる環境を求めていました。その中でも、オープンキャンパスで感じた雰囲気や京都という土地に惹かれて、京都芸術大学の文芸表現学科を選びました。

何となくでしか言えないことを、共有できる人に出会えた。

高校生の頃まで、インターネットのコミュニティ以外に、物を書いている人たちは身近にいましたか?

駒田
周りには、いなかったですね。

すると、大学に入って、同じような思考をもった人たちと急に出会うことになったんですね。高校時代に一人で書いていた感覚と、大学に入ってからとで、何か変化はありましたか?

駒田
大学に入って、すごく良かったことが、そこなんですよ。そういう人たちと一緒にいると、話が早いんです。僕はあまり話すのが得意ではないですけど、感覚で喋っても伝わる人が多くて。お互いに「わかる」と思える場面が多いんです。自分でもうまく言えない、何となくでしか表せない感覚を共有できる人たちがいたことが、すごく嬉しかった。

いいなぁ。一人で書いてきた時間が長かったからこそ、余計そう感じたのかもしれませんね。

「百讀」で吹き飛んだ全能感と、その先で手に入れた基準。

駒田さんが文芸表現学科でどういう時間を過ごしたのか、印象に残っていることを教えてもらえますか?

駒田
1年生で「百讀(ひゃくどく)」という授業があるんです。

名物授業ですよね。本当に100冊読むんですか??

駒田
僕の頃は、100冊のリストから1年間で60冊ほどを読んで、一冊ごとに、あらすじとコメントを800字で書くというかたちでした。

1冊を800字にまとめるのは、かなり大変そうです。

駒田
当時はとても厳しくて、単位を取れない人のほうが多かったくらい。今は当時と比べると単位が取りやすいそうですが、2年生でも「百讀」の延長戦をする人がたくさんいました(笑)。しかも、レポートが受理されるまで、何ターンか書き直しがあるんです。

1度の提出で受け取ってくれるわけではないのですね。それを60冊分やり遂げたら、めちゃくちゃ鍛えられそうです。

駒田
レポートの文章にも細かく指摘が入るので、好きなものを好きなように書いていた頃の全能感みたいな気持ちが、そこで一回折れました(笑)

まさに洗礼ですね!

駒田
でも今ふり返ると、そこで得た一種の基準みたいなものが、僕の中ではすごく大きいです。「こういう文章は出せないな」とか、「余計なことを書き過ぎているな」というように、自分の文章を見つめ直せるようになりました。

今につながる基準を得た。

駒田
書くための筋トレみたいな時間だったと思います。

読んで、書いて、読み合って、お互いの作品を磨いていく。

百讀だけでも、1年生から強烈なスタートですね。

駒田
でも授業と課題だけをしていたわけではなくて、1年生の後期には、同級生たちと冊子をつくろうという話も出てきました。同級生の一人に誘ってもらい、短編を持ち寄って一冊の本をつくりました。装丁やレイアウトも自分たちでまとめて、大学近くの専門店で製本をしてもらいました。

すごいな。みんなでつくると、距離も縮まりそうですね。

駒田
はじめは6人が集まったのですが、授業以外の関わりが、この頃から濃くなっていきました。半年に一度、「合評」があって、先生が推薦した作品をまとめた冊子が配られるので、お互いに書いたものを読む機会は多かったです。

書きたいテーマやジャンルは、一人ひとり違うんですか?

駒田
詩を詠む人もいましたし、小説や脚本を書く人もいました。雑誌の制作や編集を学ぶ授業があったので、取材をもとにしたルポルタージュのほうへ行く人もいたり。

日々読んで、書いて、いろいろな人の作品にふれる中で、文章に変化はありましたか?

駒田
変わってきたと思います。フィードバックを受けていると、自分が書いたことと、読む人への伝わり方や受け取られ方とのギャップを強く感じることもあって、そこをどう埋めるかを考えていました。

書き手にとって、避けて通れない問題だと思います。

駒田
でも一方で、「わかりやすく書く」ことだけでなく、「書きたいことを譲らずに伝える」ことを大事にしたいと考えていて、その両立ができないか、今もずっと悩んでいます。学生同士で「プロの作品じゃないもの」を読む機会が多かったことで、自分の作品も客観的に見たらこう見えるのか、ということも痛感していました。

客観的に。

駒田
商業出版されている本に対しても、自分だったらこうは書かないなとか、こうは書けないな、とか、自分が書くことを前提とした読みが出てき始めました。読むのが楽しくなったのもその頃からです。

読み方が、変わってきた。

駒田
3年生になるとゼミが始まって、当時いらっしゃった新元良一先生のゼミに入りました。新元さんが研究対象にされていた海外文学を読書会のようにみんなで読んだり、小説をつくったり。卒業制作も見据えた作品として、少しずつ長いものを書いていきました。4人いたゼミの同期のうち3人は、今も書き続けていて、詩人になった人もいるし、文学賞の最終候補にまで2回残っている人もいます。週末のゼミが楽しみでしたし、大学の同期とは今も毎月のように会って、読書会をしたりしています。

「書くこと」へのハードルを下げて、「続けること」を大事にしていく。

群像の新人文学賞でデビューされるまで、どんな風に作品を書き続けてきたのですか?

駒田
在学中にクリアしきれなかった課題として、作品がバランスを欠いた構成になってしまっていたことが挙げられます。卒業制作もそうですが、熱量は評価されるけど、物語の構造に強度がないということを、ずっと言われ続けていました。小説のテーマに縛られ過ぎて、頭でっかちな小説になっていたんだと思います。それを卒業してからクリアしていった感じです。

デビュー作の『鳥の夢の場合』を読ませていただいたんですが、物語の構造が苦手という印象はまったく感じませんでした。駒田さんはどうやって、こういう作品を書ける人になっていったのでしょうか?

駒田
卒業後は書店員をしながら書き続けてきました。書店で働く日は、まとまった時間を取れないので、休憩時間や仕事終わりの細ぎれの時間を使って、「フリーライティング」のような感覚で、思いつくことを何でも書いていくんです。フィルターをかけずに、ひたすら書く、という時間を設けています。そういう文章がいくつもできていって、休みの日に「書いたものをどうするか?」「自分は何を書いたのか?」を考える。絵を描く人が、パレットでまずいろんな色をつくっておいて、それからキャンバスに向き合っていくような感覚に似ているかもしれません。

意識せずに書く時間と、編集する時間と、モードを切り替えながら書いているのですね。

駒田
そうですね。25歳くらいから、働きながら書くことのバランスを考え続けていて、とりあえず書くという動きだけは止めずに、「続けること」に重心を寄せた書き方に変えていきました。そうやって、書くことへのハードルを下げながら、「いいものを書かなきゃいけない」という気負いからも離れたところで書いていけたらな、と。

小説において、構成や整合性、結末の面白さは大事かもしれないけれど、読んでいる最中が面白ければ、作品として成立するのではないか。そういう考えから生まれたのが受賞作だったのですね。

駒田
自分でも結末を決めずに書き始めた、そういう書き方を試みて2作目の作品が、今回の受賞作だったんです。30歳になったことをきっかけに、書店で働く時間もさらに減らして、「群像にしか拾われないぞ、自分は」という思いで応募先を絞った矢先の受賞でした。

この作品を書き終えたときは、手応えのようなものはありましたか?

駒田
実は、今までで一番、自己評価ができない作品でした。書き終えたときの手応えでいうと、ひとつ前の作品のほうが強くて。この作品が面白いのか面白くないのか、自分がいいと思っているだけなのではないか、という気持ちが拭えませんでした。でも、今後もやっていく上で、これが受け入れられるということは、自分の書いていることはすごく外れたことでもない、誰にも共感されないことをやろうとしているわけではないんだと思えました。

言葉の奥で、他者と出会い、見えないものを想像する。

今の駒田さんにとって、「書くこと」のやりがいはどこにあるのでしょうか?

駒田
最初からあった「楽しい」という感情が、同じ核をもって今も残っている気がします。書いたものに対して、「何を書いたんだろう?」と立ち返るときに、それを書けてしまうことの不思議さや、自分に対する発見があるんです。書いたことの奥に、自分の中にいる他者から発されたような言葉があって、それは自分じゃない人たちとも共有可能な、普遍的なものなんじゃないかと。

見えないものを、書くことで乗り越えたいという気持ちがあるのですね。

駒田
フィクションでは、「できた」と書いたことは、できたことになる。その手応えをいくらかでも現実に持ち帰ることができたとしたら、壁を越えているかもしれないと思います。

さいごに一言、これからこの学科で学ぶみなさんにメッセージをいただけますか?

駒田
百讀をはじめ、いろいろな授業を通して、自分では選ばなかった小説や表現形態に出会うことができました。僕にとっては、自分はこういうものを書くんだという実感を持てた場所であり、制作という行為との距離感や、立場がしっかりと固まった場所が文芸表現学科でした。それから、これは卒業して余計に感じていますが、人と本の話をするって、意外と難しい。そういう友だちに出会えるのが文芸表現学科のいいところだと思います。

貴重なお話をありがとうございました!

 

卒業年度・学科
2017年
文芸表現学科 卒業
出身高校
京都府龍谷大学付属平安高校
プロフィール
本学卒業後、書店に勤めながら小説を書き続ける道を模索し、新人賞への応募を継続。2025年『鳥の夢の場合』で第68回群像新人文学賞を受賞し、小説家としてデビューを果たす。同作は芥川賞候補にも選定。京都新聞にて書評連載『本屋と一冊』も担当。

作品

picture

単行本『鳥の夢の場合』– 2025/7/16 駒田 隼也 (著)

  1. Home
  2. 学生生活・就職
  3. 卒業生紹介
  4. 卒業生紹介(駒田隼也さん)

毎日更新! 公式SNS

公式SNS紹介