2022.05.12
- 展覧会
- 近畿圏
ファルマコンー新生への捧げもの
2022. 05/28 (土)
2022. 06/19 (日)
09:00
18:00
The Terminal KYOTO
〒600-8445 京都府京都市下京区岩戸山町424
MAP
2022年5月28日(土)-6月19日(日)、The Terminal KYOTOにて企画展「ファルマコン 新生への捧げもの」(文明哲学研究所 協賛)を開催いたします。
この企画展では、4月1日に着任された吉岡洋先生がアドバイザーをつとめておられます。
展覧会に先立ち、5月7日(土)からは、オンラインレクチャーシリーズ「思考のワークショップ」もはじまりました。
オープニングレセプションほか、オンラインでご参加いただける企画も満載のこの展覧会、ぜひ足をお運びください。
*「ファルマコン 新生への捧げもの」webサイト http://mrexhibition.net/pharmakon/
(オンラインレクチャー詳細・参加申込みもこのサイトよりお願いします)
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「ファルマコン 新生への捧げもの」
毒と薬をともに意味することば「ファルマコン」には、捧げものという意味もある。「捧げる」とは所有を諦め、過去を抱きしめ未来に想いを託し、死者やこれから生まれる者たちを心から配慮すること。そのような関係を通じてこそ、私たちの生は意味を持ち、私たちは幸せに生きられる。アートは、私たちをそこに導く道標である。
キュレーター:大久保美紀
アドバイザー:吉岡洋
インストーラー:池田精堂
出展作家:入江早耶、大久保美紀、梶村昌世+福島陽子、フロリアン・ガデン、ジェレミー・セガール、西脇直毅、堀園実、三輪眞弘+前田真二郎+佐近田展之
【展覧会について】
私たちの惑星は、今なお混乱の最中にあるのだろうか?パンデミックは、マスメディアやインターネット上で不安や恐怖を拡散するインフォデミックを引き起こし、私たちは日常生活のあらゆる点で、なるほど深刻な犠牲を払いつづけている。ウイルスという不可視の敵の撲滅という大義名分のもとに横行する非科学的な施策や政策は、経済破綻と格差社会の深刻化を招き、翻って現行の社会システムの脆弱さを暴露したにも関わらず、私たちは、他者そのものが忌み嫌うべき病原体であるかのような洗脳を受け入れ、互いに連帯して助け合うどころか、互いを警戒して制裁し合う監視社会の強化に自ら加担してしまっている。所有に基づく現行の資本主義の行き詰まりや、民主主義の欺瞞が叫ばれて久しいにも関わらず、そのような問題を「積極的に思考する」ということに関して私たちが去勢されている現状にもあまりに無自覚ではないだろうか。
犠牲の深刻さを最も象徴的に示すのは、人間が人間であるために最も大切な死者への尊敬の表現や、集団的礼拝を含む儀式が無力化されたことである。死者を思いやり、これから生まれてくる者に大切なものを投げかける行為は、つまり「捧げもの」のことである。「捧げもの」の存在しない、つまり、今現世を生きていることのみに執着し、死者たちへの配慮も、未来に託す希望もない世界に広がるのは、さぞ絶望的で不毛な風景だろう。
だが、私たちはなお幸せに生きられる。あまりに大きな犠牲を乗り越え、新しい生を模索する努力をすることができる。私たちの生が意味を持つのは、過去を思いやり未来の人々に希望を託す、その関係を通じてこそなのだ。そして、アートは、そうしたつながりを感じさせる手がかりとなる。物事の本質的両面性に着目する「ファルマコン」という言葉には、一見相反する「薬」と「毒」という意味に加え、「生贄(捧げもの)」という意味がある。本展覧会では、異なる芸術的アプローチを通じて、新たな生を積極的に思考する試みを提案する。
(キュレータ 大久保美紀)
この企画展では、4月1日に着任された吉岡洋先生がアドバイザーをつとめておられます。
展覧会に先立ち、5月7日(土)からは、オンラインレクチャーシリーズ「思考のワークショップ」もはじまりました。
オープニングレセプションほか、オンラインでご参加いただける企画も満載のこの展覧会、ぜひ足をお運びください。
*「ファルマコン 新生への捧げもの」webサイト http://mrexhibition.net/pharmakon/
(オンラインレクチャー詳細・参加申込みもこのサイトよりお願いします)
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「ファルマコン 新生への捧げもの」
毒と薬をともに意味することば「ファルマコン」には、捧げものという意味もある。「捧げる」とは所有を諦め、過去を抱きしめ未来に想いを託し、死者やこれから生まれる者たちを心から配慮すること。そのような関係を通じてこそ、私たちの生は意味を持ち、私たちは幸せに生きられる。アートは、私たちをそこに導く道標である。
キュレーター:大久保美紀
アドバイザー:吉岡洋
インストーラー:池田精堂
出展作家:入江早耶、大久保美紀、梶村昌世+福島陽子、フロリアン・ガデン、ジェレミー・セガール、西脇直毅、堀園実、三輪眞弘+前田真二郎+佐近田展之
【展覧会について】
私たちの惑星は、今なお混乱の最中にあるのだろうか?パンデミックは、マスメディアやインターネット上で不安や恐怖を拡散するインフォデミックを引き起こし、私たちは日常生活のあらゆる点で、なるほど深刻な犠牲を払いつづけている。ウイルスという不可視の敵の撲滅という大義名分のもとに横行する非科学的な施策や政策は、経済破綻と格差社会の深刻化を招き、翻って現行の社会システムの脆弱さを暴露したにも関わらず、私たちは、他者そのものが忌み嫌うべき病原体であるかのような洗脳を受け入れ、互いに連帯して助け合うどころか、互いを警戒して制裁し合う監視社会の強化に自ら加担してしまっている。所有に基づく現行の資本主義の行き詰まりや、民主主義の欺瞞が叫ばれて久しいにも関わらず、そのような問題を「積極的に思考する」ということに関して私たちが去勢されている現状にもあまりに無自覚ではないだろうか。
犠牲の深刻さを最も象徴的に示すのは、人間が人間であるために最も大切な死者への尊敬の表現や、集団的礼拝を含む儀式が無力化されたことである。死者を思いやり、これから生まれてくる者に大切なものを投げかける行為は、つまり「捧げもの」のことである。「捧げもの」の存在しない、つまり、今現世を生きていることのみに執着し、死者たちへの配慮も、未来に託す希望もない世界に広がるのは、さぞ絶望的で不毛な風景だろう。
だが、私たちはなお幸せに生きられる。あまりに大きな犠牲を乗り越え、新しい生を模索する努力をすることができる。私たちの生が意味を持つのは、過去を思いやり未来の人々に希望を託す、その関係を通じてこそなのだ。そして、アートは、そうしたつながりを感じさせる手がかりとなる。物事の本質的両面性に着目する「ファルマコン」という言葉には、一見相反する「薬」と「毒」という意味に加え、「生贄(捧げもの)」という意味がある。本展覧会では、異なる芸術的アプローチを通じて、新たな生を積極的に思考する試みを提案する。
(キュレータ 大久保美紀)
費用 | 300 円(障害者手帳をお持ちの方とその付き添いの方、高校生以下無料) |
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定員 | ー |
申込方法 | オンラインレクチャー参加申込み: https://forms.gle/q1vvgQRTZuz9WDUn8 |
主催 | art-sensibilisation(協賛:京都芸術大学文明哲学研究所 / 協力:The Terminal KYOTO、ギャルリー宮脇 / 助成:公益財団法人朝日新聞文化財団) |
お問合せ | 吉岡洋(h-yoshioka@kua.kyoto-art.ac.jp) |
URL | http://mrexhibition.net/pharmakon/ https://www.kyoto-art.ac.jp/iphv/ |
関連教員 | 吉岡洋 |